復帰したぞ!!


緊張の復帰訓練

2004年、1月。2週間の復帰訓練。長く緊張の訓練だった。4階まで上ったり降りたり。2週間で仕事の内容はしっかり覚えた。思ったより疲れはなかった。いろいろな仕事など、あらゆるものを確実にこなして終了。
2月のある日、職場から電話が。職場に行って説明を聞く。2つのことを提案した。

1. この訓練の結果を出し、結果を待つ。

2. それをやめて無条件で11月に復帰にする。

私は家に帰り、電話で即答した。答えはもちろん、2である。そして、体力を付けるための長い距離の歩行訓練をし、その日を待った。

 

失意の不合格

2004年10月。歩行訓練中に職場から電話。上司が代わったため、復帰する前に私の状態みたいとのこと。私は「もうすぐ復帰するんだから、肩慣らしだ」と思い2週間の訓練をした。体力も付き、なんなくこなした。
しかし、10月下旬職場から電話。行ってみると、答えは不合格。無条件で復帰と思っていたのに。医者が3人で2人は合格。もう一人が「1週間では分からない。」と。私は愕然とし、その場に座り込んだ。職場側は、もう2ヶ月やり、その結果を報告すると。帰りの車で私は号泣した。精神もぼろぼろになった。
しかし、私は「もう復帰したつもりで、もう一度やろう」と考え直した。

 

歓喜の復帰したぞ!

いよいよ、2ヶ月の復帰訓練開始。今度は本当に長い2ヶ月。体力は十分ある。精神力勝負と思って平常心で望んだ。職場のみんなは私の障害を理解し、優しく接してくれた。私はいろいろな仕事、その日の報告書などに明け暮れた。自分でも思った以上に身体が動く。必死だった。でも職場には笑顔を絶やさなかった。あっという間に時は流れた。


12月17日金曜日。結果が出る日。私は緊張の中、「やるだけやったんだからもう、結果は何でもいい。 」と思った。
15時45分。私が職場で仕事やっていると、上司に声をかけられた。「ちょっと。」ある部屋に行ってみると「OK」のサインが。私は飛び上がるように喜び泣いた。みんなにも「よかったね。」と言われたが、叔母と妻にすぐ電話。岩崎恭子ではないが、「自分の人生の中で一番うれしい!」


翌週、同僚に促され職場のみんなに報告し、拍手をもらった。ついについに、私は仕事に復帰した。復帰日は1月1日。ここから、私の第2の試練が始まった。

 

2018年03月15日