活動一覧

突然の出来事

年1回の検診には異常なしのはずが……

2002年3月10日日曜日晴れ。久しぶりに妻子を実家に送り、帰宅後ラティスにペンキ塗り。
10分位すると初めてのめまい。休もうと思い玄関前の水道場でペンキを流したとき、2回目のめまいで倒れる。

 

意識があり、立つと転ぶと思い、這って庭からリビングへ行き、実家と妻に電話するが不通。
そのうちに嘔吐と失禁し、寝てしまう。
気が付くと、たぶん夜11時頃。再度電話し、つながる*1。

父親と叔母が着て、、救急車でI病院へ。

翌朝目覚めると、妻と子、両家の両親などの姿が見えた。そこからがI病院の入院生活だ! 

*1:ろれつが回らないため、父親は酔っぱらいと勘違いし、よくよく聞いてみると私だと分かった。もし電話を切ってしまえば、死亡の可能性あり。

  

2018年03月15日

I病院の入院生活

最も苦しんだ4ヶ月間

主治医の診断は脳出血。86%が寝たきりか死亡。命からがら14%に入った幸運もつかの間。

 

①心傷(障害を受け入れる苦しさ、一人でいられない)

2週間,眠剤で眠り続ける。悪夢を見、薬を変える。そこから心傷が始まる。

「心傷」は障害者が障害者として受け入れられない強いストレスのことである。それにより大声で叫んだり、暴れてベッドの柵をけったり。ひどく暴れると転倒防止でナースに手足を縛られたりした。起きるのが辛く、多くの見舞い者にきちんと対応ができない。心傷は自立した今でも少しだが残っている。また、いつからか一人でいると強い不安感が出はじめ、24時間体制で家族か外部のヘルパーについてもらっていた。これも心傷の一部である。

 

②睡眠不足(夜眠れない苦しさ)

自分では覚えていないが、主治医に眠剤を半分にしてほしいと言ったらしい。それから夜に全く眠れない。昼間は横になっているうちに寝てしまうケースが多いため、妻が子供を親に任せて看病しても眠れずかなりのストレスで、妻に迷惑をかけていた。夜寝るれない苦しさを初めて体験した。

 

③リハビリスタート(待っていられない苦しさ)

2週間寝たっきりから、いよいよリハビリが始まる。

まず車椅子に座る。ずっと寝ていたため、苦しくて座っていられない。50分のビデオを見て、横になる毎日の繰り返し。

次に歩行訓練。1Fのリハビリ室でゆっくり慎重に一歩一歩を踏み出す。徐々に距離を長くしていった。歩行訓練は苦しくないが、リハビリの老人が多いため、先生も対応に追われ待たされるが、精神的に苦しく車椅子に座って待っていられない。マットまで行き、横になり、注意を受けたこともあり。今は完全消えたとは言い切れないが、座ることがトラウマになっている

 

7月10日晴れ。入浴の介護を受け、いよいよS病院への転院へ……。

2018年03月15日

S病院の入院生活

光が見えた2ヶ月

日本一優秀なナースとヘルパー

S病院は日本で有名な病院である。それはナースコールを押すと、I病院とは違い、10秒以内でナースかヘルパーがとんでくるシステム。リハビリ前の体操もナースと介護福祉士が一緒に私用のを考案してくれた。辛いときやうれしいときはその場に応じての対応をしてくれる。人間味もあり、十数人の彼女たちに救われた。女医やナース、ヘルパーや介護福祉士は私にとっての女神なのである。

 

オーナー近影

好感の持てるWナース

オーナー近影

明るいHヘルパー

オーナー近影

美人O女医

オーナー近影

心の支えのMナース

オーナー近影

ナースのトップN婦長

 

リハビリの日々

精神科の女医O先生の安定剤は私の状態を考えて投与してくれずいぶん心傷が減った。

いよいよリハビリ。先ず、PT室でN先生と歩行訓練。教え方が上手く安心してでき、自主練習も行った。次にOT室でK先生と左腕やパソコンの訓練。やはり心豊かな先生で、空いていたら何でもやらせてくれた。またST室でK先生はご自身も障害者で厳しいが、一緒に発声練習や読みとりの練習をしてくれた。

このように3つの部屋で毎日リハビリに励んだ。お見舞い人も多く、うれしく励みになった。I病院時のヘルパーIさんは良く足を運んでくれた。

 

オーナー近影

お世話になった先生KNコンビ

オーナー近影

退院後も着てくれたIさん

オーナー近影

友人のO君。聞き上手

オーナー近影

病室が同じK校U教頭

 

いよいよ退院

9月18日晴れ。多くの方に支えられた2ヶ月間のリハビリ生活。「これから自分でリハビリを続ける」と心に誓った。

しかし、病院側はあまりにも妻の負担が大きすぎると考え、別居を提案。今考えると当然のことだが、当時はショックだった。妻も涙を流し了承した。多くの人に別れを告げ、晴れて退院。

ここからが自宅でのリハビリ開始の始まりだった。

 

 

 

2018年03月15日

退院してからのリハビリ

人生で最も頑張った歩行訓練(自分で自分をほめてやりたい)

 

① 復帰に向けての歩行訓練(雨、寒さ、暑さ、風など自然に負けず毎日の努力)

退院して、翌日から歩行訓練を行った。初めは、杖をつき、父親に、車椅子を押して、付き添ってもらった。100mゆっくり歩いてみた。近所の居酒屋まででdown。車椅子に座り、帰ってきて横になる毎日。

しかし、徐々に体力が回復し、歩行距離も増えてきた。それに伴い、杖もなくなり、付き添いの父親もいなくなり、自分一人でできるようになってきた。雨の日も、風の日も、暑い日も、寒い日も、毎日欠かすことなく、自分ながらよく頑張った。

最終的には、午前20分(1.3km)と30分(2.2km)、午後は20分(1.3km)50分と(3.2km)、計2時間(8km)歩くようになった。

 

② 復帰に向けての座る訓練

I病院の最初のリハビリは車にいすに座るものでものすごく苦しかった。それがトラウマとなった。そこで座ることの恐怖や疲れを克服する訓練を行った。
朝起きて早速始めた。じっと座るのは大変である。しかし、テレビを見ての訓練は精神勝負なので、そんなに辛くはなかった。歩行訓練の合間はいつも座っていた。また、パソコンをやってみた。「やることがあれば、座っていられる。」と自信がついた。

 

③ しびれと骨折

退院して、2,3ヶ月経って間もないころ、左手足がしびれだした。主治医が言うのは「脳出血の後遺症で誰にでもあること。3年でしびれがひかないと一生残る。」と告げられた
上手く説明できないが、正座をして足がしびれるのと似ているかもしれない。それが24時間つきまとうのである。復帰した今でもしびれで苦しんでいる。
歩行訓練後には週3回ヘルパーがマッサージに来てくれる。失礼のないように靴下は替えている。普段はベッドで替えるが、ある日洗面所に丸いすがあったためそこで履き替えようと右足をあげた。後ろにバックドロップのようにひっくり返った。肩に激痛が。肩を骨折。おまけに、左手首を複雑骨折。いまだに大きな定規は上手く持てないでのである。

 

2004年1月。待望の職場復帰訓練。やるだけのことはやった。

不安で押しつぶされそうになりながらいよいよ訓練へ……

2018年03月15日

復帰したぞ!!


緊張の復帰訓練

2004年、1月。2週間の復帰訓練。長く緊張の訓練だった。4階まで上ったり降りたり。2週間で仕事の内容はしっかり覚えた。思ったより疲れはなかった。いろいろな仕事など、あらゆるものを確実にこなして終了。
2月のある日、職場から電話が。職場に行って説明を聞く。2つのことを提案した。

1. この訓練の結果を出し、結果を待つ。

2. それをやめて無条件で11月に復帰にする。

私は家に帰り、電話で即答した。答えはもちろん、2である。そして、体力を付けるための長い距離の歩行訓練をし、その日を待った。

 

失意の不合格

2004年10月。歩行訓練中に職場から電話。上司が代わったため、復帰する前に私の状態みたいとのこと。私は「もうすぐ復帰するんだから、肩慣らしだ」と思い2週間の訓練をした。体力も付き、なんなくこなした。
しかし、10月下旬職場から電話。行ってみると、答えは不合格。無条件で復帰と思っていたのに。医者が3人で2人は合格。もう一人が「1週間では分からない。」と。私は愕然とし、その場に座り込んだ。職場側は、もう2ヶ月やり、その結果を報告すると。帰りの車で私は号泣した。精神もぼろぼろになった。
しかし、私は「もう復帰したつもりで、もう一度やろう」と考え直した。

 

歓喜の復帰したぞ!

いよいよ、2ヶ月の復帰訓練開始。今度は本当に長い2ヶ月。体力は十分ある。精神力勝負と思って平常心で望んだ。職場のみんなは私の障害を理解し、優しく接してくれた。私はいろいろな仕事、その日の報告書などに明け暮れた。自分でも思った以上に身体が動く。必死だった。でも職場には笑顔を絶やさなかった。あっという間に時は流れた。


12月17日金曜日。結果が出る日。私は緊張の中、「やるだけやったんだからもう、結果は何でもいい。 」と思った。
15時45分。私が職場で仕事やっていると、上司に声をかけられた。「ちょっと。」ある部屋に行ってみると「OK」のサインが。私は飛び上がるように喜び泣いた。みんなにも「よかったね。」と言われたが、叔母と妻にすぐ電話。岩崎恭子ではないが、「自分の人生の中で一番うれしい!」


翌週、同僚に促され職場のみんなに報告し、拍手をもらった。ついについに、私は仕事に復帰した。復帰日は1月1日。ここから、私の第2の試練が始まった。

 

2018年03月15日

現在の後遺症


① 左足、左腕の麻痺

人が近づいてよく見ないと、私が障がいを持っている事がわからない。

診断では麻痺。といってもまったく動かないわけでもない。歩くこともできるし、左手を使うこともできる。
しかし、左手はかなり変形しており、重いもの持つことができない。また細かい作業もできない。

左足は、くじき防止のための補装具をつけている。歩き方はゆっくり、びっこを引いているように見える。
他人からみるとそのように見えるらしい。しかし、自分では一生懸命歩いている。歩くのはかなり大変である。


② 左足、左腕のしびれ

しびれが24時間ある。例えると、正座をし、足がしびれるあの感じである。

このしびれは、触ればびりびりして、できたら軽くさすってくれたほうが楽である。左足はまだいいほうだが、左腕がきついしびれのときがある。例えば、デスクワークで左足を床につけると、左腕のしびれがきつくなる。

そのため、私は常に左足を床につけないように、足を組み、左腕は膝の上に置きながら仕事をしている

 

 

2018年03月15日

退職したぞ

脳出血で倒れ、奇跡的に職場復帰!

2005年に復帰した時から考えていました。
計画通りに、平成28年3月31日に55歳早期退職し、
33年間の仕事を終えついにゴールしました。


そして、ついに夢だった学習塾を開講して、生徒を分かりやすく楽しく教えています。

 

退職した現在は、大変快適に過ごしています!!!

 

数学野栗塾のWebサイトへ

 

2018年03月15日